AIを用いた健康管理報告に対する主治医の反応と、それがもたらした新たな洞察と成長について書く。
昨日、AIくんと一緒に、主治医への報告内容をまとめた。スマホにメモをとりながら、いざ主治医と会話してみると、冒頭10秒で厳しい指摘と感想を述べられた。以下、どのようなことが起きたか、可能な限り客観的に会話内容を再現する。
1. 主治医「症状はどうですか?」
2. 僕「今回はスムーズにお話しできるように、AIと医師に報告すべき点をまとめてみました。スマホにメモを記載しているので、読みながら報告しますね」
3. 主治医「AI? なんでまたそんなことをしたの?」
4. 僕「私はIT関連の仕事をしているので、AIを使ってできるだけ正確に情報をまとめたかったのです」
5. 主治医「私はAIの作文を聞きたいんじゃない、あなたと話をしたいんです。あなたの言葉で喋ってください!」
6. 僕「いえ、報告内容自体を生成したのではなく・・・」
7. 主治医「いいから、私と喋りなさい。メモも見ないで! 私はAIは大問題だと思っている」
とまあ、こんな感じでした。
以降は、従来通りの会話をして、その日の診察は終了。診察室を出た頃には、気分は最悪だった。なんで心療内科でメンタルを崩さなければならないのだ。しかし、ここまでだと、ただその主治医を批判するだけの話になってしまう。ただ、今回は比較的早く立ち直ることができ、前向きな考えに変えることができた。
以下、自分がどのように今回の出来事を受け止め、考察したかを書く。
1. 医療とAIの関係について
医療は人の命に関わるものだ。そのため、AIを安易に導入することに懐疑的、かつ慎重な姿勢であるはずだ。なぜなら、AIによって出力される情報が、常に正しいとは限らないからだ。それをいうなら、人間だって間違うと思うんだけどね。
それはさておき、心療内科という界隈でAIがどのように受け止められているか、現時点で僕には知る術がない。ただ、おそらくAIという単語自体が、非常にセンシティブなものになっている可能性はある。
2. 主治医と僕の関係について
匿名性を重視するため、具体的な回数はぼかして書くが、今回の診察を含めて主治医とは数回程度の面識しかない。そのため、お互いのことをよく知らないし、信頼関係も十分に築けていないはずだ。
お互いによく知らない間柄の人間に対して、センシティブな話題を冒頭で持ち出すのはリスクが高い。
3. 心療内科医という職業と、主治医の人間性について
主治医がどのように僕の症状を診断しているのか、僕は知らない。もしかすると、就職面接のように、患者がその場で今の自分の状況を話す姿を観察しているのかもしれない。医者が先手で問いかけ、患者がそれに応える対話形式を重んじているのかもしれない。患者側が先手を取り、それがさらにAIというセンシティブな話題で始まったことが、主治医の怒りを買った可能性はある。
生兵法は大怪我のもと、という諺がある。
メンタルを病んでいる患者が、それも医療に関して素人が、AIと医療を結びつけようという安易な考えを正そうとしたのかもしれない。したがって主治医が僕に向けた感情は、怒りではなく、声を大にしてでも伝えたいという思いだったのかもしれない。
病院を後にし、喫茶店に向かいながら色々と考える。僕は理不尽に怒られたわけではなく、コミュニケーションの不備が原因で今回の件が起きた可能性を考慮に入れた。僕にも責任がある、僕にも問題があった。また失敗してしまったという自己嫌悪に陥りかけた。
喫茶店でコーヒーを注文し、席に座ってから、もう一度考えてみることにした。まずはゆっくりと腹式呼吸をして、リラックスする。冷静になるためだ。腹式呼吸は実によく効く。今後の探究対象にしよう。
今日は疲れたのでここまで。執筆は頭を使うなあ。Visual Studio Code + Github Copilotを使っているものの、それでも疲れる。AIは文章を書く手伝いをしてくれて、そのおかげで速度は上がる。しかし、最後に文章を書くのはやはり人間だ。
だから、AIを恐れる必要はないと思うんだけどね。








“AIと健康管理:主治医の反応を通じて見えた新たな視点”. への4件のフィードバック
[…] 昨日、AIを活用して主治医への報告と相談内容を作成し、その旨を主治医に伝えたところ否定的な反応が返ってきて、気持ちが落ち込んだという記事を書いた。今日は、その後どのように考えてメンタルを立て直したかについて書いていく。 […]
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