AIと健康管理:主治医の反応を通じて見えた新たな視点 Part2

昨日、AIを活用して主治医への報告と相談内容を作成し、その旨を主治医に伝えたところ否定的な反応が返ってきて、気持ちが落ち込んだという記事を書いた。今日は、その後どのように考えてメンタルを立て直したかについて書いていく。

腹式呼吸でまずは落ち着く

喫茶店でコーヒーを注文し、椅子に座りながら気分が落ち着くまで腹式呼吸をした。これは実際よく効いた。ネガティブな感情が一掃され、冷静になれた。腹式呼吸のやり方は、Youtubeなどで検索すれば簡単に見つかるだろうから、気になる人は試してほしい。

改めて今回の件を振り返る

僕はメンタルが弱いので、何か問題が起きるとすぐに自分を責める傾向がある。しかし、冷静に振り返ってみると主治医にも問題があったことがわかった。以下にその問題点を列挙する。

  1. 僕の話を途中で遮り、一方的に大きな声で意見を述べ、自分の意見に沿って話すように指示をした
  2. 「AIに問題があると思っている」と話したが、その理由までは述べなかった
  3. うつ病治療中の患者に対して、大きな声で強い言葉を使って話した

僕は1980年代生まれの40代だ。それなりに人生経験を積んできた。うつ病についてもある程度の知識や理解がある。パートナーはいないが、幸運にも理解のある友人や会社に恵まれている。

しかし、もし今回のような態度をとられた患者が、孤独であったり、10代・20代の若者で、初めてうつ病と診断されたばかりだったら、その人たちはどう感じるだろうか? 僕であったら、その病院には2度と通わないだろうし、最悪の場合、自殺することだってあり得る。

今回は9:1ぐらいで主治医に問題があるのではないかと考えた。心療内科医が患者の心を傷つけるようなことがあってはならない。義憤にも似た怒りが湧いてきた。これは理不尽であり、不条理である。

怒りという感情について

僕は基本的に感情の起伏が少ない。これはうつ病を患っていることもあるし、性格や遺伝的な要因もあるだろう。僕が他者に怒りを向けたことはほとんどない。例外として、うつ病罹患中に、被害妄想に基づいた怒りを他人にぶつけてしまったことはある。本来あってはならないことだが、この件については別の機会に振り返ろうと思う。

話を戻そう。今回、僕は主治医に対して抱いた怒りを肯定的に捉えた。「怒ることができた」と考えた。これはうつ病からの回復に向かっている証拠だと思った。とはいえ、急な感情の起伏は注意が必要で、僕がうつ病ではなく躁鬱性障害である可能性はある。過去にその可能性について、産業医から指摘されている。それでも、現在僕が医師から診断されている症状はうつ病なので、多分うつ病なのだろう。

念のため、後日友人やメンターに、今回の件を事実に基づきできるだけ客観的に相談している。彼らによれば、僕の怒りは正しいとのこと。信頼できる人たちの支えもあって、僕の怒りは良い意味での怒りだと確信した。

僕は回復に向かっている。そう考えると、気分が上向いてきたのだ。

今後の通院について

結論から言うと、今後も同じ病院に通うことにした。転院やセカンドオピニオンも考えたが、今の僕は心療内科は処方箋をもらうだけの場所だと考えている。また、転院については、紹介状がない限り僕の症状に関する情報がリセットされてしまうため、情報の蓄積という点から良くないと考えている。

主治医とのやりとりに不安がないかというと嘘になる。しかし、今回の件で僕は主治医に対しての関心が薄れた。どうでも良い他人に、自分のメンタリティについてあれこれ考えるのは時間の無駄だ。理不尽や不条理に対する、セルフマネジメントの訓練として捉えることにした。そう考えると、次はどんなおかしなことを言ってくるか、楽しみでさえある。

ちなみに、僕の考え方はかなりの例外であって、こんな事態に遭遇した場合は、セカンドオピニオンと転院を推奨する。ただ、良い心療内科はなかなか見つからない。うつ病経験のある友人から、心療内科探しについて良いアドバイスをもらったので、この件に関しては別途記事にする。

医療というサービス業について

最後は愚痴に近いが、ここまで読んでくれた人なら共感してくれると思う。

医療・病院・医者というと特殊な存在として考えがちだ。しかし、医療だってサービス業に含まれるはずだ。患者は顧客であり、医者はサービス提供者だ。顧客はサービスの対価としてお金を支払い、サービス提供者はその対価に見合った商品や体験を提供する。良いサービスとは、支払った金額に対して、期待以上の価値を提供することだ。逆もまた然りだ。

僕もIT企業に勤めているので、顧客とのやりとりは日常茶飯事だ。顧客からの要望に対して、その対価に見合った働きをする。その結果、顧客が満足してくれる姿をみると、やりがいを感じる。

本来、顧客とサービス提供者の関係は対等であるべきなのだ。もちろん、こう言った関係性が常に成り立つわけではないことは理解している。世の中は不条理だからである。

話を医者と患者に戻そう。僕の経験上、医者と患者の関係性が対等であることは稀だ。特に、心療内科医に限って言えば、「上から目線の偉そうな人」か「1分で診察を終える患者に無関心な人」にしか出会ったことがない。もちろん、患者を真摯に受け止めてくれる良い心療内科医もいるはずだ。しかし、そのような医者に出会える可能性はとても低い。

自殺率の高い日本において、こうした問題はもっと深刻に考えられるべきだ。残念ながら、今の僕にそれを変える力はないし、世直しをしたいといった大きな志もない。まずは、僕自身がうつ病から回復することが一番の目標だからだ。自分の命が一番大切だ。

誤解のないように言うと、医療や医者という存在を全て否定しているわけではない。僕のかかりつけの内科医と歯医者はとても良い人たちだ。親切な対応をしてくれるし、相談にも乗ってくれる。また、人命を扱う医療というサービスは、その責任の重さから他のサービスと安易に比較することはできない。仕事は多忙を極めるだろう。僕は医療従事者に対して尊敬と感謝の気持ちを持っている。

今回得られた教訓としては、うつ病と向き合うためには医者に頼るだけではダメで、セルフマネジメントも重要だということだ。

最後まで読んでくれてありがとう。もし、この記事が誰かの助けになれば幸いだ。それでは、また次の記事で。

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Synk

1980年代生まれ。男性。独身。日本在住。IT企業勤務。

現在の関心はうつ病の回復と投資。そして、幸せに生きること。

うつ病という医療に関するセンシティブな話題を扱うため、匿名性を重要視しています。

このブログから発信される記事は、あくまでも僕の個人的な体験談として受け止めてください。