はじめに
書評と読書感想文の違いについて、読書感想文:マーティ・O.レイニー『内向型を強みにする』で書いているので、興味がある人は読んでみてほしい。
この記事は、読書感想文1である。
『シャーロック・ホームズの冒険』あるいは『羊をめぐる冒険』
このブログのタイトルは『シンとフォンドの冒険』である。この名前を付けるにあたって、対話型AIを活用している。
実際、WordPressというサービスプラットフォームの選定・このブログ名やコンセプトの決定・記事の推敲・URLスラグの英語化など、 すべてAIとの対話を通して、爆速で実現した。
Synk『AIとの対話を深めるコツ』より引用
具体的には、AIとの対話を通して、いくつかの候補をAIに提示してもらい、その中から僕が1つ選んで、部分的な変更を加えて完成している。
『冒険』をめぐる冒険
この時、『冒険』という言葉が、うつ病からの回復と人生の幸せを探究する、このブログのコンセプトに合致しているように思えた。
僕はとても気に入って、この『冒険』という単語を採用したことを覚えている。
さて、『冒険』のつく本のタイトルとして、僕が真っ先に思いつくのが、コナン・ドイルの『シャーロック・ホームズの冒険』と村上春樹の『羊をめぐる冒険』だ。
前者は、”読書感想文:森見登美彦『シャーロック・ホームズの凱旋』”として、そのうち記事にする予定だ。
今回、話題として取り上げるのは、後者の村上春樹だ。
『僕』をめぐる冒険
1980年代生まれの男子が、多感な中高生の時期に、村上春樹小説を読むとどうなるか?
その答えの1つが、「文章を書く時の一人称が”僕”になる」である。このブログにおいても例外ではない。
そう、僕は中高生の時、村上春樹の小説に夢中だったのだ2。
共感性羞恥にまみれる
先日、僕は、美容院で髪を切ってもらっている際に、本書を読んでいた。
美容師の若いお姉ちゃんから「何の本を読んでいるんですか?」と聞かれたので、僕は本書のタイトルを口に出して答えた。
『透明になれなかった僕たちのために』
40代独身中年男性
美容師のお姉ちゃんの反応は「うへぇ…」であった。
あぁ、僕もその気持ち分かるよ。『透明になれなかった僕たちのために』なんて言葉、40代の独身中年男性が声に出してはいけないのだ。
僕は本書のアンチではない
誤解無きように伝えると、僕は本書を楽しんで読み終えることができていて、肯定的に捉えている。
本書は、サスペンスとミステリの形式をとっている。作中で明かされるトリックたちは、非常に現代的かつ明快で説得力があった。作家としての作者の力量を感じた。
ただ、本書を読んでいる間、僕の心は途方も無い共感性羞恥で満たされていた。
今すぐに、どこかに頭を打ちつけて死んでしまいたくなるような、強い衝動が僕の中で繰り返し生まれては消えていった。
「令和に、初期の村上春樹作品を再現したらどうなるか?」という実験作
作中でも言及されているが、本書で扱っている題材は主に「双子」「父殺し」と「近親相姦」だ。ある種の物語で扱う題材としては、伝統的かつ王道と言えよう。
本書を要約すると、双子の片割れである主人公アリオとその周囲の人々が、父殺しと近親相姦に関わるといった内容だ。
1行で済む内容を、250ページ以上に薄めているのは、村上春樹的美辞麗句3であり、本書の99%は意味のない文字の連続で埋められている。だが、それが良いのだ。
本書は、「令和に村上春樹作品を再現したら、何が起きるか?」という作者による社会的実験作であると、僕は考えている。
メタ的に読むと、本書によって読者は自らを殺す
本書を通して、作者は読者に対して、一定条件で発動するミームを仕掛けている。これは、本書内のストーリーとリンクする2重のメタ構造だ。
発動条件は「思春期に村上春樹作品に傾倒していた」ことであり、発現する効果は「羞恥心のフラッシュバックで死にたくなる」である。
ジョーカーとジョー・力一
さらに蛇足だが、本書にはジョーカーという人物が登場する。
また、僕のお気に入りのVtuberにジョー・力一(ジョー・りきいち)という人物がいる。ピエロみたいな格好をして、大泉洋みたいな喋り方で、伊集院光の深夜ラジオみたいな配信をしている人だ。興味がある人は、ぜひチャンネル登録してほしい。
作中でジョーカーが発言するたびに、りきいちの顔や声が脳裏にチラついて、読書をしているどころではなかったことも、ここに記しておく。
今日はここまで、また次の記事でお会いしましょう!
- “「読書感想文」とは、「本を読んで感じた気持ちや思いをまとめた文章」を意味する言葉です。” ↩︎
- ちなみに、『アフター・ダーク』以降の村上春樹作品に、僕は興味がない。彼の中で、社会に対する姿勢が変わってしまったような気がしていて、僕が彼の小説に求めるものとは異なってしまったからだ。 ↩︎
- 理不尽で馬鹿げた世界に対する諦めや無気力、斜に構えた姿勢と、それを極限にまで薄めるための、希釈剤としての無意味な格好良い響きを持つだけの文字の連続こそが、初期の村上春樹作品の魅力である、と僕は考えている。 ↩︎








“読書感想文:佐野徹夜『透明になれなかった僕たちのために』”. への1件のコメント
[…] 読書感想文:佐野徹夜『透明になれなかった僕たちのために』 でも書いたが、このブログのタイトル『シンとフォンドの冒険』は、コナン・ドイルの『シャーロックホームズの冒険』に影響を受けている。 […]
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